素敵なティーキャディーが入りましたので、簡単にティーキャディーと紅茶の歴史について触れてみます。

1610年 ポルトガルの商人から初めて紅茶が中国からイギリスに輸入されました。その後紅茶は”コーヒーハウス”で飲まれるようになります。という事はコーヒーは紅茶が輸入される以前から飲まれていたんですね。。”コーヒーハウス”とは男性が社交上のミーティングに使われコーヒーの飲める会場だったのです。今で言うジェントルマンクラブかしら?

でも本当は紅茶は1662年まであまりヒットしなかったのです。

1662年に何が起こったのでしょうか??

その頃 王になったチャールス2世ですが、借金に悩ませれ、解決策として裕福なポルトガルのプリンセス キャサリン オブ ブラガンザ(Catharine of Braganza)と結婚しました。

キャサリン女王が長い船旅でイギリスに到着、その時 「紅茶をください」という要求にエール(ビール)を飲まされた事は有名です。

その当時ポルトガルでは紅茶は王室で人気がある飲み物となっていましたので、キャサリン王女が長旅後、紅茶を飲みたかった気持ちはよーくわかりますね。

そう、ご想像とおり、このCatherine of Braganza王女のお陰で、今のイギリスの紅茶が存在するのです!!!!

Catherine of Braganza,

紅茶は王室で日常飲まれる様になり、そのトレンドが貴族達、そして裕福層と流れて行ったのです。なんか今のキャサリン王妃のファッションもそうですねえ〜〜〜。

 

でも中国のみ輸入されていた紅茶はやっぱり高価な飲み物で、その紅茶を入れる容器も高級なスターリングシルバーや亀の甲羅でつくられていました。 ほとんどが中国のティーキャディーの形に似た蓋が狭い形です。(ティーキャディースプーンはまだ作られていません)

 

その後、紅茶の関税は最高で112%、まだ高価な紅茶。こっそり使用人が紅茶を盗むのを防ぐために1780年頃鍵付きの木製のティーキャディーが登場します。女主人はその鍵をベルトに身につけていたそうです。

ティーキャディーの蓋が広くなるに連れてお茶をキャディーからポットに移すのにティーキャディースプーンが使われるようになります。

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木製のティーキャディーは中の入れ物が2箱の物や、2箱とその中心にミキシングボールと呼ばれるガラスの容器が置かれている物、梨の形をした入れ物一箱のみののもなどいろいろです。

入れ物が二つある理由は何でしょう?

それはお客様にお出しする際、緑茶(Hyson)か黒茶(Bohey) どちらかを選んでいただくのが礼儀となっていたからです。

お茶を新鮮に保つ工夫としてオリジナルの木箱には鉛の内張りがされていましたが、実際にお使いになる場合はお茶が鉛に触らないように工夫をしてください。

市場に出てくるティーキャディーはほとんどミキシングボールが紛失した品が多いのですが、やっと見つけたのがこのティーキャディーです。19世紀のマホガニー製、ヒンジの付いた2つの木箱は取り出すことができます。ミキシングボールは紅茶をブレンドするために使われたと有りますが、他の説にはお砂糖入れだった事がJonathan Swift(1667年〜1745年)が書いた”給仕の仕方”(Direction to Servants)に記されています。

あなたも本格的なアフタヌーンティーを楽しんでみませんか?

入荷したティーキャディーへGO

 
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